遠い昔のクリスマス
-Christmasのお話-


皆が最もうきうきする年中行事。 イエスキリストの誕生日として知られている日。欧米ではこの時期もっとも長い休暇を取り、 家族で過ごす大事な時期です。1ヵ月前からドライフルーツやナッツが沢山入った ケーキを焼き、11月末のアドベンツの時期にモミの木を買いに行き、 家の外や窓辺を飾る。今でも印象に残っているイルミネーションは、 ナッシュビルにあったエルビス・ブレスリーの庭、NYのロックフェラーセンター前 のスケートリンクを見下ろす大きなツリー、香港ネイザンロードとペニンシュラ前の ライトアップ… ちょっと考えただけでも沢山思い出せます。

クリスマスは4000年もの歴史とか。今受け継がれているクリスマスの習慣のほとんどは キリスト生誕の100年前くらいから続いているもの。これってどういうこと? クリスマスの12日間、暖かい火、クリスマス前夜に炉にたく大薪、贈り物、パレード、 家家を回りクリスマスソングを歌う聖歌隊、家族が集い数々のご馳走を囲み、教会でのミサなど 数えればきりがありませんがこれらすべてはメソポタミアン文明時代から発祥してきたものだったようです。






メソポタミアン文明時代にはクリスマスが新年にあたりもっとも大事な日であったようです。 彼らは色々な神の存在を信じ、Mardukという父なる神が冬の到来において無秩序なモンスター (多分悪霊など。。)と戦い、そのMardukの戦いを応援するために人々は新年のお祭りを興し 12日間お祝いを続けたとの事です。このことをZagmukといいます。

メソポタミアンの王は年の暮れに死にMardukの悪霊との戦いに参加するために父なる神の神殿に戻るとされ、王は神に忠誠を誓うのでした。王が不在の間、人々は王の代わりの"偽者の王様"を祭りたて王と同様なる服を着せたのです。その"偽者の王"は人々に敬われ特別る名誉を与えられました。そしてその祭りの終わりには服を脱がされお役目終了とともに本物の王と交代します。(−これが人間であったか、はたまた作り物の人形のようなものであったかの記述はみつかりませんでした。)

ペルシャ人とバビロニア人はZagmukと似たようなSacaeaという祭典を催しました。この祭典には場所や地位の交換;奴隷が主人となりその主人が服従する事もありました。

ヨーロッパの初期のころは悪霊、魔女、化け物、トロール鬼など怖い者があると信じられていました。冬至になると人々は太陽が二度と顔を出さなくなるのかとさえ心配したようです。そして太陽が再び出てきた時に、喜びと感謝を持って迎えのための祭りをしたそうです。

スカンジナビア地方では、冬の間のほとんど太陽の姿がなくなり閉ざされた日が何日も続きます。太陽がいなくなってから35日後、偵察隊が山の上へ太陽の姿を探しに行きます。最初の光が現れた時偵察隊たちはよき知らせと共に村へ帰ることができ、村ではYuletideという壮大なお祭りとなりました。特別なご馳走がクリスマス前夜に大薪で用意もされました。お祝いのかがり火も太陽のお帰りのために大きく焚かれました。所によって人々はリンゴを木の枝に結び付け春と夏が来ることを願ったようです。今日ツリーにリンゴを飾るのは此処からきているのですね。

古代ギリシャ人たちもメソポタミアン人が行ったZagmukやペルシャ人とバビロニア人が行ったSacaeaという祭のどちらにも似たお祭りで、ゼウスとチタンと戦いをした神のクロノスを支援したようです。

ローマ人たちは彼らの神であるSaturnを祝いました。この祭りは"Saturnalia"と呼ばれ、12月の半ばから始まり1月の1日に終わるものでした。"Jo Saturnalia"のために、祭りでは街での仮装行列があふれ、沢山のご馳走が振舞われ、友人を訪ねたり、"Strenae"というラッキーフルーツなどの幸運の贈り物を交換し合って過ごすという習慣がありました。

ローマ人たちはローレルの葉のガーランドや緑色の木をキャンドルのともし火などで蓋い装いを施しました。こちらでも主人とその使用人が地位を交換しあうこともされました。

"Jo Saturnalia"は楽しくローマ人にとっては掛買いのない時期でした。しかしキリスト教徒においては異教徒たちの行動を神にとっては忌まわしく大嫌いな事と思っていたのです。初期のキリスト教徒たちはキリストの誕生を神聖で厳かなこととして迎えいれ、ただ単にお祭り騒ぎをするだけでなく、宗教において重要な休日としたかったのです。

キリスト教の布教が進むにつれて、異教徒たちのお祭り騒ぎの習慣などを警戒するようになり、Saturnalia農神祭もやがて改心するようになりました。最初は教会がこのようなお祭り騒ぎを禁じました。 しかし実行にはいたらなかったようです。本当の所お祭りは従わせられ、キリストの子と神のためのものと改編されていったのです。

いくつかのクリスマスの習慣はキリスト教徒たちが異教徒の12月にするお祭り騒ぎに対抗するものとして考え出されたとも言われてます。 25日はローマ人だけでなく、ミトラ教(太陽神をあがめる宗教)を崇拝するペルシャ人にとっても対抗するものであった。実際、教会はSaturnalia農神祭からにぎやかなお祭り騒ぎや、きらびやかな照明、贈り物の習慣などを取りあげることに成功し、クリスマスのお祭り事として迎えいれてしまったのです。

本当のところイェスキリストの誕生日など正確なものではないのです。ただこのキリストのお祭りは98ADにはじまったとだけ記されています。そして137ADにはローマ法王の下においてイェスキリストの誕生日とさだめられおごそかで神聖なるものとされました。350ADには他世代のローマ法王Julius一世により、12月25日をクリスマスとして守るべき儀式としました。

Merry Christmas from Flora!
December 2001

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